梨の実通信


五十嵐きよみの短歌ブログ。 ぼちぼちいってみたいと思います
by noma-iga
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「私探し」の時代における匿名性と私性(前半)

               (1)

 流行語というほどではないけれど、いつのまにか世の中に浸透した言い回しが、なんとなく奇異に感じられて、抵抗を覚えるということがある。「短歌年鑑」2005年版の歌人アンケート「揺れる言葉感覚――戸惑う使い方」では、「さ入れ言葉」「~から(お預かりします)」「僕(私)的には」などが上位を占めていた。

 「さ入れ言葉」や「~から」も気になるが、この10年ほどの間に浸透した言い回しで、個人的にどうもなじめないのが、「私探し」という言葉である。「私」を探すとは、いったいどういうことなのだろう。私の感覚では、自分を磨いたり、自分を疑ったり、自分を誤魔化したりということはあっても、これまでの人生で、自分は決して探すようなものではなかった。しかも、「自分」ではなく 「私」であり、どことなく自己愛を感じさせるところもなじみにくい。

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by noma-iga | 2005-09-23 12:58 | 評論

「私探し」の時代における匿名性と私性(後半)

               (4)

 ところで、地下鉄サリン事件が起きた1995年には、別の出来事もニュースになっている。Windows95の発売である。Windows95はインターネットの利用に必要な機能を標準装備しており、これによって、インターネットの利用が急速に広まっていく。すでに指摘したように、インターネットの普及は、「私探し」や「私」の問題が浮上するのと時期的に重なっているわけだ。

 香山リカは著書『生きづらい私たち』(講談社現代新書)の中で、精神医学で「解離性障害」と呼ばれる症状に近い「解離的」な人々が急増していることを取り上げ、その理由の1つにインターネットとの関連を挙げている。「解離性障害」というのは、心の全部あるいは一部がまとまりを欠き、たくさんの自分がいて、どれが本当の自分なのかわからない状態にあることを指すらしい。そこまではいかないけれど、それに近いのが「解離的」な人々であり、まさに「私探し」の当事者といっていいだろう。

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by noma-iga | 2005-09-23 12:52 | 評論


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