梨の実通信 |
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流行語というほどではないけれど、いつのまにか世の中に浸透した言い回しが、なんとなく奇異に感じられて、抵抗を覚えるということがある。「短歌年鑑」2005年版の歌人アンケート「揺れる言葉感覚――戸惑う使い方」では、「さ入れ言葉」「~から(お預かりします)」「僕(私)的には」などが上位を占めていた。 「さ入れ言葉」や「~から」も気になるが、この10年ほどの間に浸透した言い回しで、個人的にどうもなじめないのが、「私探し」という言葉である。「私」を探すとは、いったいどういうことなのだろう。私の感覚では、自分を磨いたり、自分を疑ったり、自分を誤魔化したりということはあっても、これまでの人生で、自分は決して探すようなものではなかった。しかも、「自分」ではなく 「私」であり、どことなく自己愛を感じさせるところもなじみにくい。 精神科医の香山リカによると、この言葉が「歴史の中に忽然と出現し、あっという間に広まった」のは90年代のことだという。もともとは、『ぼくを探して』という1977年に出版された絵本が「私探し」という言葉の誕生のきっかけだったらしいが、バブル崩壊後の「こころの時代」とマッチして、「私探し」はわずか2、3年で急速に広まった。それと同時に、メディアで発言する機会の多い香山のもとにも、「私探し」に関する依頼が圧倒的に多くなったという。 そのことを裏づけるように、香山の著作のタイトルには、『<自分>を愛するということ――私探しと自己愛』『生きづらい<私>たち』など、「私」という言葉の入ったものが少なくない。そこで紹介されているのは、自分に違和感を覚えたり、本当の自分がどこかにいるはずだ(ここにいるのは本当の自分ではない)と感じたりして、生き惑っている現代の若者たちの姿である。私個人の感覚としては、「なぜそんなにまでして私を探さなければいけないのか」と不思議に感じられるのだが、それが現代社会の一面なのだろう。 ところで、「私探し」とはあまり関係がなさそうなところで、「私」という言葉によく出会うジャンルがある。短歌の世界である。 短歌にとって、「私(われ)」や「私性」は切っても切り離せない関係にある。明治期に近代短歌が出発して以降、「近代的自我」、つまりこの世にたったひとりの自分を表現するという大きなテーマが追求されてきたからである。前衛短歌の隆盛期になると、虚構の「われ」が出現するなど、「私性」についての考え方は時代に沿って変容してきたが、その変容が大きな出来事としてとらえられること自体、短歌と「私性」の関係の深さを物語っている。 それでは、「私探し」の時代に、短歌の「私」は無縁でいられるのだろうか。短歌の実作者が、香山リカの著作に登場する若者たちと重なる部分があるのかどうかはともかく、短歌の世界だけが時代の空気と無関係でいられるとは思えず、「私探し」を流行させる時代背景が、歌の実作や読みに影響を与えているのではないかと思うのだ。だとしたら、「私探し」の時代における短歌の「私」は、どんな姿をしているのだろうか。 この問題を考えるために、「私性」のほかにもうひとつ、「匿名性」をキーワードとして据えてみたい。というのも、前衛短歌の隆盛期に「私性」を揺さぶったのが「虚構性」であったのに対して、「私探し」の時代に「私性」を揺るがしているのは「匿名性」ではないかと思うからだ。 (2) いま、匿名があふれている世界がある。インターネット上に広がるサイバースペースである。インターネットが普及するようになったのは90年代半ばで、「私探し」が急速に広まった時期とほぼ重なることにも注目したい。 2002年に国連社という広告会社がインターネットを通じて行ったアンケート(注1)調査によると、ネット利用者の9割がハンドルネーム(インターネット上で使用する仮名)を使っているという結果が出ている。これだけの割合の人間が本名を伏せている世界は、インターネットが普及するまでは存在しなかったはずだ。 こうした現状を受けて、インターネット上の短歌を論じるときにも、匿名性の強さがしばしば指摘される。ただ、インターネット上の短歌の世界では、ハンドルネームの使用率は必ずしも高くない。つまり、本名あるいは結社誌等で使用している筆名を使う者が多いのである。この事実はぜひとも確認しておきたい。試みに、インターネット上の企画「題詠マラソン2004」の参加者375名を調べてみたところ、仮名であることを感じさせる名前を使用していた者(判断が難しいが、「姓+名前」の組み合わせを使用していないことを基準にした)は104名で、3割程度にとどまっていた。むろん、現実の生活では仮名を使う者がほとんどいないことと比較すれば、3割でも多いという見方は可能だが、先のアンケートの9割という数字と比べれば格段に少ないのは事実である。 インターネットを活発に利用しない層に、実情が伝わりにくいのは仕方のない面もあるが、インターネット上の短歌を論じるにあたって、匿名性という言葉が安易に持ち出されることが多いのには疑問を覚える。なかには、「匿名」という意味と、「自分が名前を知らない人ばかりが集まっている」「大勢の人が集まりすぎて名前を覚えきれない」といった意味を混同しているのではないかと思える指摘も目につき、これには首をかしげてしまう。「匿名」と「無名の人」「未知の人」はまったく別のものであるはずだ。 一方、インターネット上の短歌の内容にふれて、匿名性が指摘される場合もある。具体的に「匿名」という言葉が使われているわけではないが、わかりやすい例として、「題詠マラソン2003」の投稿歌をまとめたアンソロジー『短歌、WWWを走る。』(邑書林)から、荻原裕幸の解説を取り上げてみたい。 この解説で、荻原はいわゆる「ネット短歌」について、「近年の歌壇で、どのようなメディアに発表されたかを正確に問わず、『ネット短歌』なる曖昧な呼称によって、伝統的な詠風におさまりきらない作品を論じる傾向がある」という現状をまず指摘する。そのうえで、「題詠マラソン」の投稿歌に見られた「印刷メディアにおける現代短歌の傾向とどこかしら違いを感じることが多かった傾向」を説明するために、次のような歌を例に引いている。 開かれてゆくのはわたし、いいえ枇杷 カーテン越しに雨が来ている 水須ゆき子 これらの歌と、印刷メディアに見られる歌との相違点は、荻原の説明を借りるとこういうことになる。「叙述でありながら情報の本質的な(と推測したくなる)部分を欠落させている」「自己像がなんらかのかたちで明確に結んでしまうことを拒むような文体」をもっているというわけだ。 なるほど、確かにこれらの歌は、主体の姿がどこか抽象的に感じられる。具体的な情景描写が見られ、しかも水須作品には「わたし」、村上作品には「わたくし」という語が詠み込まれているにもかかわらず、「私」の姿は曖昧で、はっきりとした像としては伝わってこない。こうした特徴は、同じ『短歌、WWWを走る。』に収録された以下のような歌と対比させると、さらに際立って感じられる。 如月の半ばに逝きし母の通夜果てたる庭に梅白かりき 大橋紀子 いずれの歌も、印刷メディアの歌になじんだ目には、読み取りやすい構造をもっているのではないだろうか。「母」「孫」「弟」「父」といった続き柄を詠み込んだ歌ばかりを引いたのは意図的なものだが、ここに描き出された家族像は「私」とのつながりの確かさを感じさせ、一首の中で完結した情景とも相まって、家族の姿と同時に、「私」の姿をも手ごたえのあるものとして伝えてくる。 こうした明確な「私」と比べると、前者の歌の「私」は、どうも輪郭がはっきりしない。抽象的な場所と時間に存在する、つかみどころのない姿をした「私」。そのような「私」の姿は、代替可能性(「私」の実体はAであってもいいし、BやCであってもいい)を感じさせ、匿名であることにきわめて近い状態にあるといえる。 では、なぜこのような「私」がインターネット上の短歌には見られるのか。後者のような歌も普通に見られる以上、インターネットそのもののもつ匿名性によって、作中の「私」もまた匿名化しているという単純な説明は成り立たない。実際、インターネットが初出ではない作品や、ネット上で活発に活動しているわけではない作者の歌が「ネット短歌」扱いされる現状を考えても、匿名性を感じさせる歌が、インターネットという媒体と直接つながっているわけではないことは裏づけられる。無関係ではないかもしれないが、そこにのみ因果関係を求めるとすれば、インターネット上の歌はすべて同じ傾向をもち、逆にインターネット以外ではこうした歌は見られない、ということでなければならない。 そうなると、匿名性の強い「私」の歌について考えるには、いったんインターネットから離れて、現在という時代そのものにまで視野を広げたほうがよさそうだ。 (3) 連綿と続く時代の中から、どの時点以降を「現在」につながるものとして切り取ればいいのか、当然のことながら、扱うテーマによっても異なってくるわけだが、ここでは90年代前夜にまでさかのぼってみたい。前述したように、インターネットと「私探し」が急速に広まったのが90年代のことだからだ。 当時の状況を振り返ると、わが国では1989年に「昭和」が「平成」に切り替わり、天皇崩御に先立つ自粛ムードを経験しながらも、バブル景気を謳歌していた。また、世界的にはこの年、ベルリンの壁崩壊という大きな出来事があった。 一方、冒頭でふれた香山リカの著作によると、香山が時代の流れを「おかしいな」と感じ始めたのは、この時期だったという。女性誌のページをめくると、「がんばった私にごほうび」「もっと私を磨いてあげる」などといったタイトルが目につくようになり、あたかも主体である「私」とは別個の「私」がいるかの表現がされるようになり始めた。 さらに年表を追うと、1991年にはソ連が解体し、東西冷戦が終結。同年に日本ではバブル経済の崩壊、さらに戦後50年にあたる1995年には、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件という未曾有の出来事を経験する。特にオウム真理教による一連の事件は、90年代半ばという時代を象徴する出来事だったといえる。オウム真理教による事件は、特定の集団が起こした特異な事件であり、たとえば全国的に多発する少年犯罪のように、社会全体を映しているわけではないという見方もあるかもしれない。しかし、オウム真理教そのものは80年代から存在していたのであり、地下鉄サリン事件が90年代半ばに起きた必然性はきわめて高いように思える。それはこういうことだ。 80年代以降、「大きな物語の終わり」「大文字の歴史の終焉」といったことをよく耳にする。近代においては、単一の社会規範が有効性をもつ「大きな物語」が世の中を支配していた。近代国家を成立させるために、政治理念や経済システムが整備されていった社会である。しかし、やがて近代がポストモダンと呼ばれる終末状況を迎えると、この「大きな物語」が急速に終息へと向かう。日本の状況に照らし合わせると、70年代に高度経済成長と政治の季節が終わりを告げ、それによって社会は急速に「大きな物語」を失っていく。この時期は、「昭和40年代」という元号による時代の捉え方が衰退し、西暦で「70年代」と捉えられるようになった時期とほぼ重なっている。 それに続く80年代は、「大きな物語」不在の時代にいきなり突入したわけではなく、70年代と90年代をつなぐ過渡期として存在した。「大きな物語」がほとんど失われたこの時代、それに代わるものとして、サブカルチャーによる虚構の「大きな物語」があだ花のごとくに咲き乱れた。 しかし、虚構でしかない「物語」がいつまでも機能するものではない。かろうじて命脈を保っていた「大きな物語」が根底から崩れ去った象徴が、オウム真理教による一連の事件だったといえる。80年代サブカルチャーの世界観を現実にもちこんだかの事件によって、80年代にしがみついていた「物語」が虚構でしかなかったことが(当のオウム真理教信者にとってはともかく)白日の下にさらされ、「大きな物語」はついに壊滅した。 この時期、つまり90年代初頭から半ばにさしかかるころ、「私探し」のブームに至る「私」の問題は同時進行していることになるわけだが、それを裏づけるように、短歌の世界でも「私」がしばしば問題にされている。平成5年版(1992年末発行)の角川書店「短歌年鑑」に掲載された篠弘による評論展望では、同年の総合誌、結社誌に見られた主体に関する話題を次のように総括している。 とりわけ主体の喪失が議論された一年である。時代を生きる「私」を問う視点は、いっそう曖昧になり、主体が解体されているという形でしか、みずからの主体が捉えられないといった意見も出るなど、今日において主体を守る難しさが痛感される。 短歌における「私」の問題も、まさに時代を反映しながら同時進行していたことがわかる。短歌の「私」が近代的自我の追求によって出発したものであるのなら、近代的価値観が機能不全に陥り、ポストモダンがしきりに取り沙汰されるようになった時期に、こうした揺らぎを見せ始めたことは必然ともいえるだろう。
by noma-iga
| 2005-09-23 12:58
| 評論
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